東日本大震災、7年が過ぎても、問題は複雑化するばかり・・・当時のブログを振り返って②
2011年3月19日記事、そのまま振り返ってみます。
■東日本大震災から1週間が過ぎました。
●昨日3/18(金)午後2時46分、先週の大震災から1週間が経ちました。
黙祷の瞬間・・・どうしていいのか解からない感情に襲われました。
この1週間見た目には電気、ガス、水道何も止っているわけでもないのに、何故か気
持ちが落ち着きません。大した被害でない東京でさえあの日の出来事以来、気持ち
や身体がフワフワしている感じです。こんなことではいけない!いけない!と思いな
がらあっという間に時間だけが過ぎている・・・感じです。
地震当日親戚の甥っ子が仕事の事故で震災慌ただしい中、即死で亡くなりました。ま
だ34歳ととても若く信じられない思いでした。3月11日正午過ぎの事だったらしい
です。東京の我が家へ連絡が来たのは夜11時過ぎ。大震災の安否確認など通信回
線のパンクが起きていて連絡繋がらなかった・・・との事でした。落ち着かない夜突
然鳴った電話越しにエッ?エッ?ナニッ?としか返答できず、電話を終えてまさかの
信じられない連絡事項に上の空だった記憶が残っています。大震災当日の夜でした。
12日大震災の事をブログに少しつづり、夕方通常通り土曜日の買い物に近所のスー
パーへいつもより少し遅くなって出かけました。午後4時頃。すると節電の実行中、
照明の落とされた店内は買い物客でごった返し、20人も並んだ長蛇の列が各レジご
とに出来ていました。エッ?なに?どうして?買占めの始まりでした。米・パン・カ
ップ麺、水、その他の飲料、トイレットペーパー、など全て売り切れ状態でした。
我々は大した買い物も無く買う物も無く、長蛇の列に並び必要な品のみ購入しました。
(もう買うものが無かったのです)そういえば、午前中、風邪薬を買いにウェルパー
クという医薬品も売っている総合店へ行ったのですが、なぜこんなに混んでいるのか
しら?と・・・繁盛してるのね!と勘違い!だったのです。このときから買占め戦争
が始まっていたらしくどこのスーパーもパン、米、カップ麺、水品切れとなっていま
した。
13日自宅近所にホームセンターが在り自宅前の通りが大渋滞していました。午後に
なっても解消されず結局入場制限がかけられ夕方になって渋滞解消されました。
通りかかりの方々に何を買いに来たのですか?とお尋ねすると、乾電池、懐中電灯、
ろうそく、との事でした。電気ガス水道止っていないのに心配だから、確かに心配で
すが・・・こういうことから買占め品切れが起こり始めていたのです。そして1:30
pm帰宅の夫が2時でも帰らず、どうしのだろう?と待っているとなんとガソリンスタ
ンド渋滞があちらこちらで起こり道路が渋滞しているとのこと、そしてスタンドも品
切れでガソリンも入れられないとの事でした。我々は、甥っ子の葬儀~静岡沼津まで
明日行かなくてはなりません。その後、夫は何とかガソリン、20リットル確保して帰っ
てきました。何とか180km往復分は足りそうで、ほっとしました。計画停電の情報が
錯綜しこの夜も落ち着かず過ごした記憶があります。
14日計画停電の始まりでした。小田急線は経堂駅~新宿までの運行で我々の利用
駅は運休となりました。通勤通学自粛・・・お願いも出されました。当日朝の発表だ
ったため、夫の息子が当駅に着けず、急遽京王電鉄仙川駅へ向かうと連絡が来てば
たばたの待ち合わせになりました。なんとか自宅に皆到着しお昼おにぎり食べて2:
30pm沼津へ出発しました。川崎ICまでGS渋滞・・・迂回してやっと東名に乗
り沼津5:00pmお通夜に間に合いました。甥っ子の早すぎる死はいろいろな思い
と重なり、大震災の運命と分かれ道に生死を分けた被災者皆様となぜか重なり、運命
で片付けるしかない・・・運命なのだと甥っ子の分も帰れない被災者皆さんの分も生
きている我々が大事に生きていかなくては・・・と痛切に思いました。何もかもが突
然の悲しい現実の1日でした。お通夜を終えて慌ただしく東京の自宅に10:30pm
無事戻りました。TVでは福島原発のシーベルトマイクロ?ミリ?の危うい報道が流
れ、遂になのかと大震災に輪をかける混乱報道・・・身体は疲れているのに頭が不安
で寝付けない夜が続きます。
15日朝、3人で朝食をとり息子を駅まで夫が送りました。まだ鉄道のダイヤが計画停
電で定まらず不安定で慌ただしい日常が続いています。昨晩の落ち着かない疲れが
抜けず全身倦怠・・・少し横になりました。計画停電の情報がどこまでなのか実行さ
れるのか?何か用意しておかねばならないことはなんなのか?考えることがいっぱい
です。掃除、洗濯、食事の用意、電気のありがたさが身にしみる現実です。そして5:
00pm次は夫の会社関係お通夜桐ヶ谷斎場へ出発。走行中GS渋滞が一向に収まら
ず長蛇の列が1車線塞ぎGSへ続いていました。会社関係の葬儀は思ったより人が集
まらず、慌ただしい大震災の影のお見送りとなりました。この日の夜は立て続けに起
こる慌ただしい非日常に疲れ果てバッタリ眠りました。
16日、計画停電区域がなんとなく居住区域とは外れているのにホッと安心し洗濯掃
除風呂掃除など、慌ただしくこなしました。これから日本、どうなって行くのでしょう
か。株価暴落、急激な円高報道、被災地への物資輸送の停滞?原発、世界史上最
大級の災害が起きた現実と、はかどらない救助、よどんだ気の詰まる日々。そして被
災地以外の都市でもジワジワと景気滞りの現実が目の当たりによく無い方向へ動き
始めています。結構前向きな自分が多肉植物いじるのにキョロキョロ躊躇する、世間
の空気。プランターに春の花寄せ植え作って植えている人・・・見かけません。なん
だか・・・悠長に庭弄りなんて・・・ふと考えてしまいます。しかし節電の最中、表
で明るいうちは多肉作業できる範囲で植替えなどしました。・・・これでいいのだ!
とできることでストレス解消できる!と思いました!
17日木曜日、お隣の奥様と買出しの日ですした。「無いならないで、まあ仕方な
いですね」と出発準備!ところがお隣さん車バッテリー上がってエンジン動きませ
ん!以前もバッテリ切れがあったので、黒と赤の充電接続コードを家から出して、
家の車と繋いでエンジンかけOK!初めて使ってみましたが、簡単にエンジンかけ
できました。なんでもチャレンジャー!大した事ではないですが、勇気が出た気分
になりました。買出しの商店は便乗値上げもなく普段通り買い物できました。カッ
プ麺、お米、牛乳はありませんでした。奥さんと2人で「なんだかいつもより買い
物少ないね」なんて、「今日買い控えしちゃったわね」なんておしゃべりしました。
いつも通り買い物できましたが、お店が節電のため暗くそして11:50am~16
:00pmまで節電閉店します、の貼り紙が被災真只中な生活最中と現実を実感し
ました。夜・・・電気を消して暗い中、TVを聴いてふと・・・今後の日本経済、が
不安になりました。今度は仕事が・・・無くなる減る・・・我々夫婦は意外と能天気
なので、「よし!ラーメン屋に行ってラーメン食べて!世間話でもして来よう!オ~
っ」と8:30pm呑み屋から帰った夫と寒い中歩いてラーメン店へ行きました。
やはり「お客さん来ない・・・」が現実起こり始めています!節電、品薄、燃料不足
外食、イベント、レジャー産業大打撃・・・突入秒読みなのかもしれません!いや!
大変な停滞期にならないよう、お彼岸は帰省、柏餅おはぎ桜餅をたくさん買って~経
済を動かさなくてはいけない!のです!ラーメン店主の話もこれからがもっと日本全
体が停滞不景気突入に・・・大変だーの連呼でした。
18日、大震災より早くも1週間が過ぎました。東北関東その他被災に見まわれた
皆様、言葉では言い表せない厳しい現実に途方にくれていらっしゃると思います。
日本を挙げて一人ひとりがささやかでも出来ることをしていけばいつか復興の道筋
が見えてくるのではないかと思います。
この大震災を糧に日本がよりよい未来と社会を再生できると、思いやりをもって日
々暮らしていけたらと改めて身にしみて思う今日この頃です。
今日からは大震災前の日常生活になるべく近づけるようあえて戻る生活リヅムをし
て、いつもの日常を取り戻していかなくてはと思っています。
先週は蕾も見えていなかったモクレンの木に、今日はもう膨らんだ蕾が春の開花を
確実に告げています。時間は気が付きにくくとも刻々と動き先週の悪夢も過去の出
来事になっているのです。現実をしっかり受け止めて日本中が前向きに進んで行く
ことに微細ながら自分のできることをしっかりして生きなければと思います。
■東日本大震災から1週間が過ぎました。
●昨日3/18(金)午後2時46分、先週の大震災から1週間が経ちました。
黙祷の瞬間・・・どうしていいのか解からない感情に襲われました。
この1週間見た目には電気、ガス、水道何も止っているわけでもないのに、何故か気
持ちが落ち着きません。大した被害でない東京でさえあの日の出来事以来、気持ち
や身体がフワフワしている感じです。こんなことではいけない!いけない!と思いな
がらあっという間に時間だけが過ぎている・・・感じです。
地震当日親戚の甥っ子が仕事の事故で震災慌ただしい中、即死で亡くなりました。ま
だ34歳ととても若く信じられない思いでした。3月11日正午過ぎの事だったらしい
です。東京の我が家へ連絡が来たのは夜11時過ぎ。大震災の安否確認など通信回
線のパンクが起きていて連絡繋がらなかった・・・との事でした。落ち着かない夜突
然鳴った電話越しにエッ?エッ?ナニッ?としか返答できず、電話を終えてまさかの
信じられない連絡事項に上の空だった記憶が残っています。大震災当日の夜でした。
12日大震災の事をブログに少しつづり、夕方通常通り土曜日の買い物に近所のスー
パーへいつもより少し遅くなって出かけました。午後4時頃。すると節電の実行中、
照明の落とされた店内は買い物客でごった返し、20人も並んだ長蛇の列が各レジご
とに出来ていました。エッ?なに?どうして?買占めの始まりでした。米・パン・カ
ップ麺、水、その他の飲料、トイレットペーパー、など全て売り切れ状態でした。
我々は大した買い物も無く買う物も無く、長蛇の列に並び必要な品のみ購入しました。
(もう買うものが無かったのです)そういえば、午前中、風邪薬を買いにウェルパー
クという医薬品も売っている総合店へ行ったのですが、なぜこんなに混んでいるのか
しら?と・・・繁盛してるのね!と勘違い!だったのです。このときから買占め戦争
が始まっていたらしくどこのスーパーもパン、米、カップ麺、水品切れとなっていま
した。
13日自宅近所にホームセンターが在り自宅前の通りが大渋滞していました。午後に
なっても解消されず結局入場制限がかけられ夕方になって渋滞解消されました。
通りかかりの方々に何を買いに来たのですか?とお尋ねすると、乾電池、懐中電灯、
ろうそく、との事でした。電気ガス水道止っていないのに心配だから、確かに心配で
すが・・・こういうことから買占め品切れが起こり始めていたのです。そして1:30
pm帰宅の夫が2時でも帰らず、どうしのだろう?と待っているとなんとガソリンスタ
ンド渋滞があちらこちらで起こり道路が渋滞しているとのこと、そしてスタンドも品
切れでガソリンも入れられないとの事でした。我々は、甥っ子の葬儀~静岡沼津まで
明日行かなくてはなりません。その後、夫は何とかガソリン、20リットル確保して帰っ
てきました。何とか180km往復分は足りそうで、ほっとしました。計画停電の情報が
錯綜しこの夜も落ち着かず過ごした記憶があります。
14日計画停電の始まりでした。小田急線は経堂駅~新宿までの運行で我々の利用
駅は運休となりました。通勤通学自粛・・・お願いも出されました。当日朝の発表だ
ったため、夫の息子が当駅に着けず、急遽京王電鉄仙川駅へ向かうと連絡が来てば
たばたの待ち合わせになりました。なんとか自宅に皆到着しお昼おにぎり食べて2:
30pm沼津へ出発しました。川崎ICまでGS渋滞・・・迂回してやっと東名に乗
り沼津5:00pmお通夜に間に合いました。甥っ子の早すぎる死はいろいろな思い
と重なり、大震災の運命と分かれ道に生死を分けた被災者皆様となぜか重なり、運命
で片付けるしかない・・・運命なのだと甥っ子の分も帰れない被災者皆さんの分も生
きている我々が大事に生きていかなくては・・・と痛切に思いました。何もかもが突
然の悲しい現実の1日でした。お通夜を終えて慌ただしく東京の自宅に10:30pm
無事戻りました。TVでは福島原発のシーベルトマイクロ?ミリ?の危うい報道が流
れ、遂になのかと大震災に輪をかける混乱報道・・・身体は疲れているのに頭が不安
で寝付けない夜が続きます。
15日朝、3人で朝食をとり息子を駅まで夫が送りました。まだ鉄道のダイヤが計画停
電で定まらず不安定で慌ただしい日常が続いています。昨晩の落ち着かない疲れが
抜けず全身倦怠・・・少し横になりました。計画停電の情報がどこまでなのか実行さ
れるのか?何か用意しておかねばならないことはなんなのか?考えることがいっぱい
です。掃除、洗濯、食事の用意、電気のありがたさが身にしみる現実です。そして5:
00pm次は夫の会社関係お通夜桐ヶ谷斎場へ出発。走行中GS渋滞が一向に収まら
ず長蛇の列が1車線塞ぎGSへ続いていました。会社関係の葬儀は思ったより人が集
まらず、慌ただしい大震災の影のお見送りとなりました。この日の夜は立て続けに起
こる慌ただしい非日常に疲れ果てバッタリ眠りました。
16日、計画停電区域がなんとなく居住区域とは外れているのにホッと安心し洗濯掃
除風呂掃除など、慌ただしくこなしました。これから日本、どうなって行くのでしょう
か。株価暴落、急激な円高報道、被災地への物資輸送の停滞?原発、世界史上最
大級の災害が起きた現実と、はかどらない救助、よどんだ気の詰まる日々。そして被
災地以外の都市でもジワジワと景気滞りの現実が目の当たりによく無い方向へ動き
始めています。結構前向きな自分が多肉植物いじるのにキョロキョロ躊躇する、世間
の空気。プランターに春の花寄せ植え作って植えている人・・・見かけません。なん
だか・・・悠長に庭弄りなんて・・・ふと考えてしまいます。しかし節電の最中、表
で明るいうちは多肉作業できる範囲で植替えなどしました。・・・これでいいのだ!
とできることでストレス解消できる!と思いました!
17日木曜日、お隣の奥様と買出しの日ですした。「無いならないで、まあ仕方な
いですね」と出発準備!ところがお隣さん車バッテリー上がってエンジン動きませ
ん!以前もバッテリ切れがあったので、黒と赤の充電接続コードを家から出して、
家の車と繋いでエンジンかけOK!初めて使ってみましたが、簡単にエンジンかけ
できました。なんでもチャレンジャー!大した事ではないですが、勇気が出た気分
になりました。買出しの商店は便乗値上げもなく普段通り買い物できました。カッ
プ麺、お米、牛乳はありませんでした。奥さんと2人で「なんだかいつもより買い
物少ないね」なんて、「今日買い控えしちゃったわね」なんておしゃべりしました。
いつも通り買い物できましたが、お店が節電のため暗くそして11:50am~16
:00pmまで節電閉店します、の貼り紙が被災真只中な生活最中と現実を実感し
ました。夜・・・電気を消して暗い中、TVを聴いてふと・・・今後の日本経済、が
不安になりました。今度は仕事が・・・無くなる減る・・・我々夫婦は意外と能天気
なので、「よし!ラーメン屋に行ってラーメン食べて!世間話でもして来よう!オ~
っ」と8:30pm呑み屋から帰った夫と寒い中歩いてラーメン店へ行きました。
やはり「お客さん来ない・・・」が現実起こり始めています!節電、品薄、燃料不足
外食、イベント、レジャー産業大打撃・・・突入秒読みなのかもしれません!いや!
大変な停滞期にならないよう、お彼岸は帰省、柏餅おはぎ桜餅をたくさん買って~経
済を動かさなくてはいけない!のです!ラーメン店主の話もこれからがもっと日本全
体が停滞不景気突入に・・・大変だーの連呼でした。
18日、大震災より早くも1週間が過ぎました。東北関東その他被災に見まわれた
皆様、言葉では言い表せない厳しい現実に途方にくれていらっしゃると思います。
日本を挙げて一人ひとりがささやかでも出来ることをしていけばいつか復興の道筋
が見えてくるのではないかと思います。
この大震災を糧に日本がよりよい未来と社会を再生できると、思いやりをもって日
々暮らしていけたらと改めて身にしみて思う今日この頃です。
今日からは大震災前の日常生活になるべく近づけるようあえて戻る生活リヅムをし
て、いつもの日常を取り戻していかなくてはと思っています。
先週は蕾も見えていなかったモクレンの木に、今日はもう膨らんだ蕾が春の開花を
確実に告げています。時間は気が付きにくくとも刻々と動き先週の悪夢も過去の出
来事になっているのです。現実をしっかり受け止めて日本中が前向きに進んで行く
ことに微細ながら自分のできることをしっかりして生きなければと思います。
テーマ: サボテン・多肉植物・観葉植物
ジャンル: 趣味・実用